NBA観戦記 〜ニューヨーク編〜
私が高校2年生の時にNBA 2012−13シーズンを見始めてから、現在8度目のプレーオフが行われている。
例年とは違いフロリダ州オーランドにあるディズニーワールド内(通称バブル)で開催されている熱い戦いの数々は無観客試合だ。
試合中はオンラインで観戦しているファンがモニターに映し出されるなどの工夫はされているが、普段の試合の雰囲気とは違ったものになっている。
毎年プレーオフといえば現地の熱狂的な観客の激しい感情の浮き沈みと共に試合が展開されていくが、今年はそのファンの「熱狂」が見えない。
もちろん、超人たちが織りなすプレーの数々や白熱したゲーム展開は今年も変わらずである。むしろ例年とは違い、試合間の長距離移動が無いため、選手のコンディショニングが良いのではという意見も出るほどだ。
しかし、私は少し寂しく感じる。
今回この記事を書くにあたり、2014年にニューヨークで現地観戦をした時のことを振り返ったのだが、私はすっかり慣れてしまった無観客試合への寂しさを感じてしまうことになった。
2014年3月に初めてNBAをこの目で見ることができた。
2013−14シーズンもプレーオフへ向けて、レギュラーシーズンが佳境に入っていた時期の観戦である。
まだ、NBAを見始めたばかりの私はニューヨークという大都市やカーメロ・アンソニーを生で見られることに胸を高ならせていた。
アメリカ合衆国に初上陸し、空港からイエローキャブのタクシーに乗ってマンハッタンを目指す。
黄色いボディのタクシーが街中を走り回っている光景を見たとき、ハリウッド映画好きの私は「アメリカに来たんだな」という実感が沸沸と湧いてきた。
現在であればUberタクシーを利用するので当時ならではの思い出かもしれない。
最初に乗ったイエローキャブの運転手が混雑したハイウェイを走行中にも関わらず、雑巾で運転席周辺を熱心に拭き上げていたのには軽いカルチャーショックを受けた。
譲り合う精神とはかけ離れた運転で、何度も車体同士がぶつかりそうになり、クラクションを鳴らす光景は18歳の私にはとてもぶっ飛んでいた。
もし彼がUberの運転手だったならば、一番低い評価をつけていただろう。
ニューヨーク、マンハッタンのど真ん中、タイムズスクエアはやはり印象的だった。
NBAの試合だけではなく大都市マンハッタンも楽しめるニューヨークは、間違いなく現地観戦におすすめな都市だろう。
観光地なだけあって、自由の女神像などの格好をした現地の人たちが一緒に写真を撮らないかと誘ってくる。
幸いタイムズスクエアの異常な街並みをiPhoneのカメラロールに収めることに夢中だった私は、彼らの悪どい商売に引っ掛からなかったが、日本では考えられない、アメリカならではの洗礼である。
約1週間の滞在中に、近くのNBAショップヘ3度も赴いた。
日本には無いグッズの数々にときめいたが、全ての商品は買えないので値段が高いユニフォームを一枚だけ買うことにした。
ニューヨークには全く関係の無い、コービー・ブライアントの24番のユニフォームだ。
2012−13シーズンにアキレス腱を断裂する大怪我を負い、シーズン中も欠場が続いていたにもかかわらず、ロサンゼルスの英雄のユニフォームはマンハッタンのNBAショップにズラリと並べられていた。
私は黄色がメインの昔ながらのユニフォームと黒がメインの新デザインのユニフォームのどちらにしようか非常に頭を悩ませていた。
そうすると、隣でコービーのユニフォームを物色していた20代くらいの白人女性客が「初めて買うなら黄色にしなさい」といった内容のアドバイスを英語で伝えてくれた。
サイズを何故か大きめに買った黄色い24番のユニフォームと海外でのちょっとした交流は今でも大事な思い出だ。
名将フィル・ジャクソンが球団社長に就任した大ニュースで連日大盛り上がりのニューヨークでニックス対インディアナ・ペイサーズの試合を観戦した。
初めての現地観戦は、実を言うとそれほど記憶に残っていない。
強烈な時差ボケと12時間にも及ぶ飛行機での移動など、慣れないことばかりの疲労感も影響したが、何よりも自分がテレビで見ていたマディソンスクエアガーデンにいるという事実を上手く脳が処理できていなかったのだろう。
フワフワとした感覚の中、それでも覚えているのはペイサーズのエースであり、当時NBAで存在感を発揮し出していたポール・ジョージの“エアボール”だ。
カーメロの美しいシュートでは無く、絶不調だった彼のシュートがリングにも当たらずに外れる光景だけが、何故か鮮明に記憶されている。
昨シーズン、プレーオフのセミファイナルでペイサーズに敗れたニックスは相手エースの活躍もあって勝利を収めた。
ガーデンから地下鉄でホテルに帰るまでの間、プレーオフ進出に向けて連勝を伸ばしたニックスを称えるようにファンたちのボルテージは高かった。
次に観戦したのはブルックリン・ネッツ対ボストン・セルティックスの一戦。
マンハッタンとはまた違った、味のあるブルックリンの街並みを探索した後、インパクトのあるデザインのバークレイズセンターへ。
試合開始前とハーフタイムには、持っていたチケットのグレードのおかげなのか分からないが、食べ放題のラウンジに案内された。
そこで食べたごく普通のホットドックが気に入った私は、同じ物を三個ほど食べたのを覚えている。
今までで一番美味しく感じたホットドックはと聞かれたら、間違いなくこれだ。
当時の私はNBAの歴史に詳しくなく、ネッツとセルティックスの因縁をよく理解していなかった。
ポール・ピアースと怪我で出場こそしなかったがケビン・ガーネット対セルティックスという古巣対決だ。
もちろん大きな移籍がオフに行われていたことは知っていたが、彼らがどれだけボストンで愛されていたかを私は深く理解していなかった。
そんな絶好のカードだったことも知らない私はコートのすぐそばまで近寄り、試合前のラジョン・ロンドのシューティングを堪能した。
特に好きな選手だったわけではなかったが、客席3列分ほどの距離から見た、外角のシュートが苦手な彼の少し独特なシュートフォームは脳裏に刻み込まれている。
試合内容は当時ルーキーだったメイソン・プラムリーが大活躍してネッツが勝利を飾った。
ブルックリンのファンと一体になって生きの良いルーキーのダンクで盛り上がる経験は私のNBAへの愛をより一層深いものにさせた。
最後の観戦はニックス対クリーブランド・キャバリアーズ。
まだまだ若手だったとはいえカイリー・アービングを見るのを楽しみにしていたが怪我によりその夢は叶わなかった。
決して欠場したカイリーやKGを貶めるつもりはないが、コービーやジョーダンが「自分を見に来たファンのために試合に出てハードにプレーする」といった内容の発言の偉大さを、遠い島国から観戦しにきた私は身を持って体感した。
試合展開は3試合の中で一番白熱したものになる。
アウェイでも勝利し、連勝を伸ばしていたニックスを相手に、エースを欠く低迷中のキャブスはディオン・ウェイターズを中心に攻め立てる。
ガーデンのファンと共に大声でディフェンスコールを叫んだが、無情にもベテランのジャレット・ジャックのジャンプシュートが決まり、プレーオフ進出に向けて崖っぷちなニックスの連勝がストップした。
シュートを決められた瞬間のガーデンは、この世の終わりのようなため息で充満した。
カーメロ率いるニックスが負けたのはもちろん悲しかったが、現地観戦が終わってしまったことの方が悲しかった。
シーズンは続くが遠い日本に帰ってしまう私は、もう会場に行くことはできない。
せめてもう少し近い国だったら、韓国の様にすぐ隣にアメリカがあれば、などと淡い空想をしたものだ。
NBAの楽しさはハイレベルなバスケットボールだけではない。
2019年にジャパンゲームをさいたまスーパーアリーナで観戦したが現地観戦とはまた違ったものだった。
もちろんプレシーズンマッチ(練習試合)だったこともあるだろうが、それだけではない。
マディソンスクエアガーデンやバークレイズセンターに集まるファンたちは別物なのだ。
自分の街のチームに誇りを持ち、そして愛を捧げている。
生活の中の一部にバスケットボール、NBAというものが当たり前に存在して、日々会場に足を運び、街のみんなで応援して、みんなで喜び、そして悲しむ。
そういった雰囲気は現地でしか味わえない。
その街のファンがたくさん詰めかけているからこそ試合の熱量は上がり、我々を感動させてくれるのだろう。
たとえスマートフォンの小さな画面で観戦していてもファンたちの熱狂が伝わってくる。
その彼らが見えない無観客試合はやはり寂しいものだ。
もちろん、コロナ騒動の中でもNBAの試合を見れることはありがたいことだが、現地の熱いファンたちが会場に戻ってくることを私は待ち望んでいる。
懐かしいカメラロールをあさり、ニューヨークでの一週間を思い出すために見た、約3分間のロンドのシューティング映像は今でも宝物だ。
間近で見る彼の確率の悪いシューティングは現地観戦への思いを募らせる。
あの会場の一体感を。
あのファンの熱狂を。
はたまた、あの落胆を。
再びマディソンスクエアガーデンやバークレイズセンターにファンが詰め寄り、一喜一憂する姿を日本で見ていたら、私は長期休みを作り、貯金を崩し、どこかアメリカの都市に向かいたくなるだろう。